ヴァイオリン工房は不思議の部屋 ★camera delle meraviglie★

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さらば、イタリア記念旅行(5)〜アレッツォ

ローマの方からモデナに帰る途中、どこぞに寄れないかなと思って立ち寄ったのがトスカーナ州の街、アレッツォ。8月にフリニャーニ工房で一緒に仕事をしていたアネッテがこの街に行ったのをきいて前から考えていたのだけど結局立ち寄ることにしました。
一般的にはあまり知られていないけど通好みなものがこの街には満載。で、そんなところをいくつか紹介。

まずは、西洋音楽を勉強した人なら全員がお世話になっているこのひと。
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グィード・ディ・モナコまたの名をグィード・ダレッツォ(Guido d'Arezzo,995ごろ~1050)。有名な”グィードの手”を使ってドレミファ唱法を考案したお方。この人のお陰で教会での歌唱教育は劇的にすすんだそうな。駅を降りてからまっすぐ歩くと彼の像が建って観光客をもてなしてくれる。ドゥオーモの近くには彼の暮らしていたという家にプレート(写真下)がかかっている(けど、あまり彼の様子は詳しく伝わっていないので本当かどうか怪しいとおもう)。どちらも彼を讃える「音階」がデザインされている。
ともかく、今我々が「ドレミファソラシド」と歌えるのは彼のお陰。もし、彼がいなかったら「ハラホロヒレハレ」と音階を歌っていたかも知れない・・・(注:正しく言うと彼の頃には「ド」は「ド」ではなく、「シ」は無かった。詳しくは専門書にゆずります。)
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一般的にアレッツォでもっと有名なのはここ。聖フランチェスコ聖堂、なかにルネッサンスの画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの代表作「聖十字架伝説」のフレスコ画がある(ここは写真撮影禁止だったので、右下の写真はドォーモにある別のフレスコ画を掲載)。彼のあだ名のデッラ・フランチェスカはこの聖堂に由来する。彼はアレッツォの近くサンセポルクロという町出身だが周辺に彼の作品が結構残っているのでピエロ・ファンはキャンティー・ワインをの試飲とあわせて巡礼にやってくるようです。ピエロの絵は幾何学的で構図の取り方の妙が面白い。数学の著書も残しているくらいだから相当の博識だったと思われる。
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つづいて、街の中心グランデ広場はこの街出身のジョルジョ・ヴァザーリの設計。彼は彼自身の作品よりもルネッサンスの芸術家の評伝を綴った『芸術家列伝』の著書で知られるがここはその数少ない彼の有名な作品のひとつ。シエナのカンポ広場に似ているがここではGiostra del Saracino(サラセン人の馬上槍大会)という街の地域対抗、馬上槍突き大会が年に一度開催される。どうも、トスカーナの人たちはこういったものが好きなようだ。
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この街はアカデミー賞も獲得したロベルト・ベニーニ監督の『ライフ・イズ・ビューティフル』の舞台の街。街のロケ地にはこのようなポスターが立っていて映画のシーンを彷彿させる(じつは僕はこの映画をまだ見ていない・・・)。
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ともあれ、街から丘を見晴らせる公園に行くともうマロニエの葉は色づいていて秋の訪れを感じました(これを書いている一ヶ月前だけど・・・・-_-;)。こうして、こうしてイタリア最後の一週間をすごしにモデナに戻ったのでした。
by shinop_milano | 2010-10-21 15:01 | 雑記

さらば、イタリア記念旅行(4)〜ティヴォリ・アドリアヌス帝の別荘

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ティヴォリのもう一つの世界遺産になっているアドリアヌス帝の別荘Villa Adrianoはローマ皇帝アドリアヌス帝が建築を始めたというから2世紀半ばあたりから造営され世紀をまたいでローマ皇帝に使われていたらしい(詳しい説明はガイドにゆずります)。ゲルマン民族の移動の頃より(他の遺跡のたぶんに漏れず)ローマの街は破壊と略奪、建築材の再利用の憂き目に遭い早い時代から廃墟になっていったらしいが、それでもエステ荘が造営中の頃でも十分発掘、研究そして再利用ができるほど遺構は残っていたらしい。

ここには初めて来たのだが最初に思ったこと、とにかく広い。
まず入り口からは一切の遺構は見えずただただオリーブの木が立ち広がっている。入り口から歩くこと5分、何か見えてきた。名所スポットを何カ所か紹介。

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ここはストア・ポイキレ(彩色回廊)の壁。かつてはこの壁の反対側にある池を囲んだギリシャ哲学ストア派の授業を行っていた長〜い色彩回廊というのを模した大きな建物だったようだが今はこの壁と方形の池が残るのみ。

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そして大浴場跡。ポンペイの遺跡にも見られる公衆浴場跡。他にも小浴場跡があるがいずれもドーム状の天井のあとがりローマ人の建築技術の高さが伺い知れる。

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マッティーノ劇場跡は水に囲まれた円形の舞台に建物が建てられていている。ここでどんな演劇を行っていたのか想像は難しいが、中世イタリアで興ったルネッサンス精神はギリシャ芸術の再現回帰が根底にあるとされる、のを考えるとヴィチェンツァにあるパッラーディオによるオリンピコ劇場の舞台と何となく重なって見えおもしろい。

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ここの白眉カノープスはアドリアヌス帝がエジプトの町カノープスを訪れた時の印象から作られたらしい。絵になる中央のペルセウス像は発掘のとき池の中から見つかったらしいが今置いてあるのはコピー。オリジナルは隣の博物館にあります。

以上のスポットはどこも「水」の風景の感じ取れるところでエステ荘もふくめて景色の水との調和が取れています。ギリシャ>ローマ>ルネッサンスとつづくイタリア半島の調和美の流れが感じられ、わざわざ来てよかった、感じるところです。
今ではすっかり有名になってしまったチェリスト溝口肇を初めて聞いたのは86年の2ndアルバム『水の中のオアシス』にふくまれる「ゲルニカ」をこのカノープスを映したBGMとしてで、以来溝口肇の初期のニューエイジ・アルバムを聴きながら作業に励むのは僕の日課になっています。
by shinop_milano | 2010-10-20 02:08 | 雑記

「ミラノ的ヴァイオリン製作の部屋」改め。埼玉に活動の場を移したヴァイオリン屋の徒然日記


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