ヴァイオリン工房は不思議の部屋 ★camera delle meraviglie★

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カテゴリ:ミラノ生活( 119 )

カノッサ銘菓 スポンガータ

入院中のお見舞いに頂いたもので一番珍しかったもの。
それはレッジョ・エミーリア地方のクリスマスお菓子スポンガータSpongata。ご当地に住むマエストロが持ってきてくれた。イメージ写真は、これ。(僕がもらった実物とは違います)
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どういうお菓子かというと、中にアーモンド、干しぶどう、松の実、胡桃、砂糖漬けのドライフルーツ、ナツメグなど(つまり材料たくさんだね)にビスケット、蜂蜜でまぜて作った具がはいっていて、それをケーキ生地で焼いたお菓子のようです。何がすごかったって中の具がいままで食べたことの無かったような味わい。しかも純手作り風味。
それを証拠に袋には手書きで材料や賞味期限を書いたコピー紙が張ってあった。まさしく小さいお菓子屋さんの手作りの証拠。しかも、すごく読みづらい。

後になってすっごく美味しくって気に入ったよ、という話しを贈り主にはなすとそのお菓子のストーリを話してくれた。このお菓子は「カノッサの屈辱」で有名なカノッサ城(神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世が雪の中懺悔して教皇グレゴリウス7世に破門の許しを乞うた場所)の城主でトスカーナ公カノッサのマティルダのお気に入りのお菓子だったらしい。日本でいえば平安時代に遡ることになるかな。ちなみに、このカノッサのマチルダというのは世界史の教科書にも出ているこの有名な写真の右側のお方。調べてみると外交手腕巧みな女領主さまだったようだ。
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このスポンガータはクリスマスのお菓子だそうだが実に手が込んでいるらしい。なんと準備するのに、40日ほど掛かるとのこと。しかもちゃんと作るとたくさん作れないから作る量も多くないらしい(このお店だと20〜30くらいといっていたかな)。だから季節限定度が高い(日本のお菓子の季節限定とは意味が違ね)。その手間の大部分は中の具作りだそうだけどさすがはエミーリア・ロマーナのこの地域は食べるものについてのこだわりはすごい。
いま日本の「伝統的」お菓子なんていうのを見ても妙に見栄えも良くという洗練されすぎた感がありしかもしっかり保存料なんかを使っているが、僕がもらったものは手作り感120%で洗練されていない見かけだがほかにはどこにも無い自然な味が何ともよかったです。
by shinop_milano | 2009-01-19 12:00 | ミラノ生活

魔女と浣腸

病院お笑いネタ第2弾。入院中ある意味一番苦しかった1日。お食事中の方は食後に再来していただくのをお勧めする。

入院5日目、前日の夜に集中治療室から一般外科病棟に移されて迎えた朝。内科のドクターが診察にやってきた。そしておなかを触診したときに気になったらしく、いわれる前に自分から、
「便秘症で入院してから出ていないんです・・・」
と説明した。
イタリアの病院食は、もう3回目の入院だからよく知っていたのだが、とにかくたくさんでてくる。レストランみたいにプリモ(パスタ、ニョッキ、リゾットなど炭水化物メニュー)とセコンド(肉や魚、チーズなどのタンパク質メニュー)に加え付け合わせで野菜類とデザートで果物が一食分で昼食と夕食にやってくる(ちなみに朝は軽く、ビスケットとカフェラテという具合)。消化器系は全然問題なかったので毎食けっこう食べていたからおなかの中に排泄物がたまるのは当然。
それを悟ったドクターは
「それじゃあ・・・」
と言った。「・・・」がなにかすぐには理解できなかったが予想できた。
しばらくして看護婦のおばちゃんがやってきた。しかしこのおばちゃんがすごい。齢50過ぎ。絵本に出てくる魔法使いのおばちゃんそのものでデプッとしていて脚は短く5頭身くらいかな?しかも爆発したソバージュのような髪型はピンクに染めていて目つきは怪しい。しゃべる言葉はいかにもイタリアの教養のないおばちゃん言葉でそれが魔女度を高めている。白衣を着ていなかったら本当に魔女だよ。ああでも、言葉で形容するのは難しい。
そんな魔女、いや看護婦が何やら太い「筒」と「フライパン」を持ってきた。
「じゃあ、やるよ」
と先が三角形にとがった「筒」そう、浣腸器をみせる。
「え、こんな大きいモノなんですか!?」
と頭の中で思う。だって、直径8cm、長さ30cmくらいの注射器だよ。イチジク浣腸とはスケールが違う。先っぽは円錐型だし。
彼女はサッサとシーツをまくり上げ「フライパン」、これは病人用のおまる、をお尻の下に挿入した。準備完了だ。
「脚を開いて・・・」
といい、
「チョットまって・・・」
とぼくが説明を求める隙もなく、ブスッ。さっさと打ち込まれてしまった(涙)。

あのババァ、と思いつつ確かに楽になるだろうからガマン、ガマンと思っていたがなかなか出ない。寝ながらオマルをお尻の下に挿入されると腸の向きは重力に逆らうのであろう、なかなかいいように排泄物は流れてくれない。そして何よりも折れた肋骨が痛くて踏ん張れない。おなかは徐々にキュルキュルしてきたが如何せん一気に出る気配がない。脚を開いて腰を浮かしているのでだんだん疲れてくる。ようやく少し出たと思うと疲れちゃうので看護士/婦さんを呼んで処分してもらいお尻を拭いてもらう。先にも書いたがこのプロセスはお互いに嫌なものだろう。なのでなるべくぼくも一気に済ませたかった。
しかし問屋はそうは卸さず、浣腸はじわじわ効いてくる。オマルを取りちょっと排泄してリラックスすると次に控えていた一団が前に進んでくる。そして何となくまた便意をもよおしてオマルを呼びスタンバイするのだが、いざお尻が浮くと便意を損なわれる。そしてしばらくあまり入らない力をお腹にいれて頑張る。これがこの日だけで数回続いた。看護士/婦たちも、この日本人はまったく・・・、などと呆れたのではと想像する。

一番の難所だったのは昼休み前、お見舞いに同居人のRくんと同じ製作学校に通うTさんがやって来たとき。便意がやって来たので「ごめん、ちょっと」と席を外してもらい頑張っているとそこにいつもお世話になっているPマエストロがやって来た。幸い(?)ちょっと出たところで便意が引っ込んだでこの体勢をこらえて部屋に入ってもらった。すぐ帰るのだろうと思っていたが彼はその日は話し好きが高じて1時間半くらい居座ったのであった。その間ぼくはお尻の下にオマルを挟みっぱなしで脚を開いている。なので当然脚は疲れてみんなが帰る直前は両脚がプルプル震える始末。この間はなるべく「出ないように」気を遣ったので精神的にも疲労困憊。本当に疲れた一日でした。その後午後になって一通り腸内が一掃されてめでたしめでたし。

ともかく、身動き出来ないで用が足せないというのは、かなりつらいです。今でこそ笑って話せるけどね、ははは。
by shinop_milano | 2009-01-16 05:29 | ミラノ生活

超音波診察は寝技をまじえて

入院お笑いネタシリーズ第1弾。
入院二日目だったか三日目だったか集中治療室にてドクターがインターンらしき助手の女医さんをつれてやってきた。何でも今もって来た超音波診察機を使って臓器の様子を見るとのこと。大学のときの先生で超音波を使った医療方法を研究していた先生がいたので何となくどんなことをするのかはすぐ頭に思いついた。大きいひげ剃り機のようなハンディマシンを皮膚の上に当てるとそこから発する超音波の反射を測定して体の内部の様子が分かるというものだ。つまり、体を切らずに体の内部が大雑把に観察できる。

このときにはまだちょっと動いただけで激痛が走っていたころである。測定にはベッドから上体を起こし右腕をあげて右脇腹を見せる開ける必要がある。僕の気持ちはネガティブである。
装置をモニターにつないで僕の体にローションを塗り始める。ドクターは50歳くらいの声が高い歯切れのいい感じだがあまり二つ以上のことはいっしょに考えないであろうと思われる方であった。まずは簡単な胸の辺りから始める。装置を当て動かしながらドクターと助手はモニターをみている。「これが肝臓で、その隣は・・・」などとドクターは説明はじめた。ひょっとしたら僕は教材?2人は計測器を動かしながらモニターをずっと見ている。僕も見たかったけどなぁ・・・
「じゃあ、背中の方から見てみよう。上体を上げて腕動かせる?」
と質問してきた。とうとう来た・・・
「痛くて動かせないし、鎖骨折れているから腕あがらないです。」
とこたえる。しかしこんなのはあまり意味をなさない答えなのは重々承知の介。
「じゃあ、僕が腕をまわして上体を起こしてささえるから。」
とドクターは上半身前側から腕を背中とベッドの間に入れてスペースを作りその間に測定器を入れてきた。う〜痛たたたたー。2人はモニターを見ている。このときは肺にたまった血液がや傷ついたところがどんなだか見るのがメインの目的だったろうから彼らに取っては重要なところだったのだろう。しかしその間僕の顔面、鼻の先にはドクターの脇の下がある。しかもちょっと、いや、けっこう臭う。こちらのドクターや看護婦は下着の上にダイレクトに診療・診察用の白衣や緑衣(というのかな?)を身につけている。薄着である。
「はいじゃあ、大きく息を吸って!」
え、うそ、この状況で?大きく息をしろといってももともとできないが頑張って中くらいでやってみる。つ〜ん、と鼻にくる。ちょっと自粛させてもらいたい気分になる。
「はいじゃあもう一回!」
ゔゥゥ〜〜と息を吸う。ああそういえば中学校の体育で柔道のときに腋臭の強いやつは寝技は有効に使えるぞと縦四方固めか何かの技をを習ったなぁ、と思い出した。そんことはよそに相変わらず2人はモニターをみてレッスン&診察中である。
「もっと大きく息をすって!」
今の肉体的にも精神的にもこれが限界です〜、と言いたかったが僕は最善をつくした、つもりだ。柔道で寝技は30秒で放してくれるが、この場合は明らかにその10倍くらいはあった気がします。

背中の痛さと腋臭にがまんんして診察終了。興味本位もあって
「この機械は日本製ですか?」
と聞くと、
「いや、ドイツ製だよ。東芝のは高くてね・・・」
ということでした。
by shinop_milano | 2009-01-11 07:21 | ミラノ生活

病院の中で

最初に救急手当と検査を受けて運ばれたのは外科の集中治療室でした。痛さで身動きできなかったし、体には酸素吸入、排尿、肺の排液の為のカテーテルや点滴がつけられていたベッドでは寝返りも打てませんでした。救急車の中で衣服はすべて切ってぬがされていてシーツを敷いたベッドの上に裸でシーツを上から掛けられてという状態が一般外科の部屋に移るまで1週間くらい続きました。
ちなみに、最初に集中治療室で目を覚ましたときは「見知らぬ天井」を見て「ここはどこ?どうして自分はここにいるの?なんで?」と思うよりまずは頭が空白でした。そして、現実を否定したいけど受け入れる感覚。病院の病室の天井を見て記憶を遡らせてみて『新世紀エヴァンゲリオン』の第2話を思い出しました。シンジくんのあの入院シーンは体験した人じゃないと思いつかない描写だょ〜、うまくできている。

眼鏡がなかった(事故で吹っ飛ばされてしまった)のでド近眼の僕は周囲が何も見えず手も自由に使えなかったのでお世話はすべて看護婦と看護士さん頼みでした。朝6時に検温と血圧の測定で起こされて、再びまどろむと8時ごろにシーツの交換と体を洗いに看護婦がきます。ほんとに寝たきりなのでシーツを剥がされるとスッポンポンで体のすみずみまで石けんのついたスポンジで体を洗い、それまでのシーツで体を拭いてベッドのシーツを取り替えます。こちらは「まな板の上の鯉」何も抵抗できません。排尿の為のカテーテルが「あそこ」に挿入されているので股間もよく拭かれるのです。幸いにもアレコレ考える余地がなかったので羞恥心も何もありません。なすがまま、キュウリはパパ状態。動けないというのは無力なのを実感しました。
でもこれって、体の不自由な老人医療の現場や重度の身体障害者の現場では日常茶飯事な訳ですよね。世話をされる側もする側も男だとか女だとか羞恥心なんかを超えてお互い接しなくてはいけないというのを自ら体験すると今の日本の介護に対する問題は深刻なものだと思いました。
じつはイタリアの病院ではたくさんの外国人が働いています。先生と呼ばれるドクターだけでなく、看護士/婦、掃除のおばちゃんまでです。言葉の訛からは南米や東欧の出身であることが思い起こされましたし、明らかにアフリカ出身の黒人のひともいました。イタリアも他のヨーロッパ諸国とおなじ移民を受け入れてるのでこんなところでもおおくの外国人が働いています。いや、むしろこんなところだからこそ外国人は多くいるようにも思いました。むかし佐々木倫子の漫画『おたんこナース』で看護婦の仕事は「3K」どころか「9K」とあったなぁと思い出します。日本でも将来は外国人看護士が、というのが話題になっていますが、もしそうなったとき、いや、そうならざるを得なくなったとき日本人は簡単に受け入れられるかと思いました。それは来る外国人が日本に適応するようになっても彼らに日本人が適応できるかということです。日本は世界で見たら特殊な国民性の国です。国民性が国際的であるとはまだまだ言えないと僕は思います。これから日本はどうなるんだろ・・・
いずれにしても近い将来(すでに?)僕らの世代は高齢者の介護を含め社会のなかでも大きなところを支えてゆかなくてはいけないと思います。こういう機会をもって日本の将来の問題を病院のベッドの上でちょっと深刻に感じました。
by shinop_milano | 2009-01-08 20:00 | ミラノ生活

救急車の中で、そして見つかるまで

何かが僕の背中に追突したとき、その場で倒れてものすごい激痛を伴って道路に倒れた。次の記憶は救急車の中でそれまでの記憶は思い出せない。来ていた衣服を切られて救助を受けていた。「背中が痛い・・・」とか「ここはどこ?」といったことを救急救命員に聞いたような気がするがよく覚えていない。そんな中で、自分が事故に遭ったんだ、ということは理解できた。そう認識したくなかったけどそう認めざるを得なかった。

呼吸が苦しい。ここはどこ?もしかしたら病院の中?
最初はああこのまま障害を持つようなら死んじゃった方がいいかもなぁ、と頭をよぎった。あるいは既に危ない状態なのでは?ちょっとだけ死を覚悟した。しかしそう思ったとき体のどこが動くか確かめていた。

脚?両方動く。
左腕と手?動く。
右腕?あれ、あがらない。でも右手の指は動く。肘も曲がる
首?左右に動く。
背中?激痛!

手足が動くのを確認してどうも生き残ってもまだ楽器を作ったりできそうだと思った。そして、ここはどうも僕の死ぬ場所じゃないようだ、と思いついた。時代小説のようなセリフだけど本当にそう思った。神様がまだ生かしてくれたのかもしれない。別段信仰心が厚い訳ではないがまだ僕に生きろと言っているのかも、と思ったときまた普通の生活に戻りたくなった。また家族や友人たちに会わなくては、とも思った。このとき何か体に、あるいは心にスイッチが入ったのかも?

当初は1月くらいの入院と言われたが2週間で退院できた(完治じゃないけど)。骨の折れ方がよかったのかもしれないが正直、自分でも回復力に驚いている。集中治療室にいるときは想像もできなかった。幸い鎖骨も手術なしで済んだ。脊椎から左側は無傷でそれも運が良かった。

偶然かもしれないが信じたいいくつかの事実。
事故に遭ったとき、背負っていたリュックにはネックや横板を作る為の材木が入っていた。もしかしたらこれが緩衝材になったのかもしれない(あるいは悪く作用した可能性もある)。ヴァイオリンの神様に助けられたのかも?
事故に遭った日、それは3年前に亡くなった東京で一緒に楽器を弾いていたある友達の命日だった。ついこの間日本に帰ったとき彼の仏前に手を合わせてきたばかりだった。もしかしたらこの日だけ彼が力を貸してくれたのかも?
みんなが僕を捜索中のとき、カトリックの友人(日本人)がミサのときにシスターたちに僕のことを話したところみんなでお祈りを捧げてくれたらしい。そして彼の頭に僕の入院している病院の名前がよぎったという。その晩入院3日目にして僕はようやく発見された。

そして臆面もなく言わせてもらえば、みんなが僕を見つけてくれたとき『起動戦士ガンダム』最終回のアムロの最後のセリフがちょっと頭をかすめました(みんなわかるよね?)。ガンダムはすごいアニメだったなぁ。。。
by shinop_milano | 2008-12-31 00:00 | ミラノ生活

ご報告 −交通事故遭遇とその後の経過について−

この二週間ばかりのことにいて申し上げます。

私、篠崎 渡は12月11日(木)の18:00過ぎ頃帰宅途中に交通事故に遭い救急車で搬送の後ミラノ市内の病院に同26日(金)午後まで入院しておりました。現在は経過良好ということで自宅にて静養ということになり順調に快方に向かっています。事故発生から病院に搬送されるまで私の不注意で身分証明や緊急時の連絡先(携帯電話など)について一切持ち合わせておらず同居人、友人、家族と3日ほど連絡が取れずにいました。その間私の身柄を多くの方が捜索するという事態になってしまいました。そして友人らとミラノ在日本総領事館の方々の懸命の捜索の末、14日(日)の夜に病院で身動きのできない私を発見して頂いた次第です。多くの方にご心配をおかけしたことをお詫び申し上げるとともに、暖かい言葉やお見舞いを頂き厚く御礼申し上げる次第です。

事故の詳細について、
当日、帰宅途中自宅近くのミラノ市内Piazza Napoliにてバスの乗り換えにて道路横断のため信号が青に変わるのを待っていたところ横にいた人が乗り換えを急ぎ赤信号のまま横断を試みました。小雨の降る夕闇の中帰宅時間中ということもあり車の往来も多く不幸なことにその彼にモータバイクが突っ込み跳ねてしみました。そのバイクもその場で転倒したのですが、今度はそのバイクに別のバイクが突っ込み転倒してしまいました。目の前では、これは大変だ!とみな状況を眺めていたのですが、何人かがケガ人の救助、介抱をする中私も帰宅したい足を止めて事故の二次災害を防がなくてはそれと救助活動の補助を、と思い倒れたバイクの移動を試みるに至った次第です。
手荷物を置き道に出て安全確認をしたつもりだったのですが、道路に出て腰を下ろしてバイクを移動しようとしていたところ後方より来た車(バイク?)に追突されたようです。そのときのことはよく覚えていませんが、次の瞬間激痛とともに道路に倒れていました。そこから、次に記憶があるのは救急車の中で衣服を切られて呼吸が苦しい中救助活動を受けていたところです。そのままミラノ市内北部NiguardaにあるPronto Soccorso(救急病院)で救急手当を受け入院することになりました。

病院にて、
レントゲン、CTなどの検査の結果、右肋骨10カ所ほど、右肩甲骨、右鎖骨が骨折、とそのため右の肺が一部損傷していました。肺に血がたまっていたため呼吸が困難だったのでその場でカテーテルを挿入して排液治療を受けることになりました。幸い、左半身と脊椎はほぼ無事で左半身は自由に使えるのと手足は自由に動かせる状態でした。その後、集中治療室にて翌月曜日まで4日間様々な治療と介護を受けました。この間私もしきりに誰かと連絡をとらねば、と思い思考を巡らせましたが唯一わかりやすいだろうなと考えた所属の弦楽器製作学校のことを言葉でドクターに伝え、調べさせるのにとても時間がかかりました。また、運悪く週末が重なったのも手伝って連絡を付けるのに週明けを待たねば行けませんでした。結局、14日(日)の深夜に友人らやミラノ在日本領事館の方々の懸命の捜索の末私を見つけて頂きました。それまでの間、友人、関係者、家族らをたいへん心配させることになってしまいました。私もこのとき領事館のYさんを拝見してその場で日本両親と話しができたときはホッとした思いです。
集中治療室でのドクターの話しでは、ひと月弱くらいは入院、ということだったのですが一般外科病棟に移った後から後自分でも驚くほど順調に快方に向かいまして(これはほんとに不思議ですが自分の回復力がこれほどのものとは!)覚悟もしていた鎖骨の手術もする必要がなく2週間の入院の末あとは自宅療養ということで26日(金)に退院と相成りました。この後も2、3週間は安静ということで(実際カンナを持つこともできないので)当分は自宅で静養ということになります。(実はキーボードを叩くのもいつものようにいかなんくちょっと難儀しています)。

改めて、
今回は多方面の方達にご心配をおかけする結果になってしまい、たいへん申し訳なく思うのと同時に多くの方のご親切と真心を頂きたいへん励みになりました。みなさんどうもお世話になりました。今回は起こった事故について本当に不幸中の幸いとも言うくらい、もし言い過ぎでなければ、神様に助けてもらったようにも思います。そのことはとても感慨深いのでまた別にお話しすることにします。
そのような訳で多くの方からクリスマスの挨拶やメッセージを頂きながら返事ができませんでした。お詫びとともに挨拶に代えさせて頂きます。皆様、良い年末年始をお迎えください。
by shinop_milano | 2008-12-27 12:00 | ミラノ生活

ミラノに帰ってきて

すっかりクリスマスモードになってしまっていた。(日本もそうだったけど)
今週末は7日がミラノの守護聖人、聖アンブロージオの日で町はお祭り気分8日は祝日で3日間の連休です。チェントロにちょっと出てみたけどすごい人ででした。ああ、なんとDuomoはファサードがほとんどすべて見えるではないか!
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一部足場を残しているけどミラノ5年目にして初めてファサードの全景を拝みました(でもまだ部分てきに修復やっています)。
恒例のクリスマス市“Oh Bej Oh Bej”(オーベイオーベイ、と読む「いいもの、いいもの」という意味)が今年もお城の前に出ていた(去年は今年で終わりとか行っていたのに結局続行)。世間の景気が悪いにも関わらず出店の数は多かったです。しかし季節もの(クリスマスグッズ)のお店にくわえよく見るとナヴィリオの骨董市で見かけたお店や町のメルカートで見かけるお店もちらほらと。景気が悪いのでクリスマスでがんばろう、ということかも。以下いくつかの写真を掲載します。
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こちらは流しのバッグパイパー。イタリア的にはこの楽器はザンポーニャと呼ぶ。
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ナヴィリオ骨董市でも見かける化石屋。願掛けも含めてアンモナイトの小片を購入。5ユーロ也。
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思わず買食いしたくなるこの市場。おいしそうな子豚ちゃん。雰囲気に任せたら衝動買い必至。
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by shinop_milano | 2008-12-07 15:04 | ミラノ生活

Sovicoでコンサート

晴天の秋空のもと、今日はミラノ郊外Sovicoという町(モンツァの方が近い)で所属するアマ・オケLa Verdi per tuttiのコンサート。今回は指揮者がここの町から仕事をとってきて町が管理するヴィッラ(豪華なお屋敷)で市民向けの野外演奏会。なのでステージはこんな感じです。
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ここはお屋敷の敷地がえらい広くまるで公園のようです。どんな歴史があるのかよく把握していませんでしたがなかなかいい感じの庭です。
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本当はクレモナで展示会の最終日があったのでこの演奏には参加したくなかったのですが、結局ヴィオラ弾きがいないということでフランス人のマダム、イザベルと一緒に弾かざるを得ないという状態でした(彼女は最初僕だけだった状況を見かねてあえて子供たちを家においてきてくれたのでした、感謝)。コンサートの演目は4番煎じくらいのシューベルトの「未完成」交響曲のレクチャーコンサートで午後のひとときのお茶を濁した、という感じでしょうか。30分ほど指揮者がしゃべり我々は最初待たされその間日が落ち始め冷たい風が吹き始め、本番、ようやく終了。
そういえば、今回ホルンがいなかったぞ、本番も。歯抜けオケにも関わらず(つまり人数がそろうかそろわないか関わらず)仕事を取ってきて演奏会を決めてしまうなんて言うことは日常茶飯事のイタリア音楽事情。我々は完全ボランティアだけど事前にちゃんと説明もなしに予定を組まれてはちょっと困りますぜ、指揮者の旦那。
ということで愚痴をこぼしました。日本のアマ・オケは十分民主的だと思う今日この頃。
お・ま・け
会場で見つけたかわいい小物、わんこの泥落とし。
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by shinop_milano | 2008-10-05 20:00 | ミラノ生活

秋の味覚ーMiyagawa

イタリア生活5年目にしてはじめてスーパーで見つけた、Miyagawaとは、青みかん。どうもイタリアではオレンジのみかんをMandarinoと呼ぶのに対してこう呼んでいるらしい。由来についてはこちらに詳しく書かれている方がいるのでご参考ください。そうか、発見者はミヤガワさん、温州みかんはヨーロッパではサツマとも呼ばれているのか・・・。青みかんといえば確かに今頃の時期、運動会なんかで食べたなぁ。
ちなみにこのMiyagawa、国産かと思いきやウルグアイ産。結構すっぱいです。
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by shinop_milano | 2008-09-29 04:16 | ミラノ生活

秋の味覚ー胡桃

最近のMartinoラボでのブームは乾きもの系の果物をつまむことで落花生や胡桃なんかを仕事の合間につついている。以前は胡桃なんてさほど好んで食べるものでもなかったが、ちょっとはまってしまった。それで自分でもかって食みた。工房で食べているのはスーパーで売っているカリフォルニア産のもので、僕がこの前市場で買ったのはヨーロッパ産(イタリア?)のものだ。じつはこれらはかなり違う。比較のため写真をお見せしよう。
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カリフォルニア産(右)は殻がデコボコでちょっと大きめ。ヨーロッパ産(左)の方が丸っこくてちょっと小振りだ。僕が買った市場のお店にはFresco(新鮮)と書いてあり実を割ってみると完全に乾燥した感じではなく白く表面にうっすらと油脂が見て取れる。それに対しカリフォルニア産は完全に乾燥していて黄色く透明な感じ(ちょっと写真では解りつらい)。味はカリフォルニア産の方がいわゆる日本でも食べられる胡桃の味に近く(多分カリフォルニアから来ているの)だろう)甘く苦みがない(身の薄皮が薄い)のに対しヨーロッパ産は脂身があり歯ごたえもよいが薄皮が厚いためか半乾燥のためか苦みがある。どちらもおいしいのだが後者の方が「大人の味」といったところか。
気がつくと2個、3個・・・と殻を割っている。栄養価が高いのでほどほどにしなければ・・・
by shinop_milano | 2008-09-26 06:27 | ミラノ生活

「ミラノ的ヴァイオリン製作の部屋」改め。埼玉に活動の場を移したヴァイオリン屋の徒然日記


by shinop
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