ヴァイオリン工房は不思議の部屋 ★camera delle meraviglie★

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カテゴリ:ミラノ生活( 119 )

一番最初に買ったCDアルバムは?

ちょっとカジュアルな話題。最初に自分で買ったレコードは?とかCDは?とかよく話題になりますが僕の場合CDアルバムは(レコードじゃないよ)崎谷健次郎の『REALISM』と久保田利伸の『Groovin'』だったと記憶しています。中学生のお小遣いで12cmCDを買うのが大変だった時代初めて買ったのがこれです。たしか中学2年生頃。買った当時はよく聞いていたけど(だってそれしか無いんだもの)ちょっとというかかなり時間が経って前回日本に帰ってきたときにiPod用にデータに変換して最近また聞いてみたりしています、特に前者のほうは。
崎谷健次郎なんて知っている人も少ないのではと思うけど当時はよくラジオなんかで流れていて洒落た、都会的な曲の雰囲気が大人っぽく聞こえて、実際、結構複雑なコード進行やエレガントな曲を書いていたりするのでそういう、大人の音楽みたいなのに憧れていたのでした。で、それから20年経ってきいてみると(って、本当に20年かい!?)歌詞の意味とか、ああそうだったのかとわかることもあればその時代の背景とかも見えてきてちょっと嬉しく聞いています。
崎谷の代表曲はなんといっても『もう一度夜を止めて』になると思いますが、ストリングスのセクションなんて当時は打ち込みなんて今のように出来なかったからちゃんと演奏しているしアレンジがしっかりしている。歌詞だって詩的だよ。このリリシズムはイタリア人には解らんだろうなぁ。
ともあれ、最近80年代の日本のニューミュージックなどを持ってきていろいろ聞いています。ぽつぽつと20年経って聴いてみての感想などをこの夏は書きたく思います。
by shinop_milano | 2009-06-19 22:00 | ミラノ生活

夏の午后

6月最初の日曜日。家で作業をしっぱなしというのも不健康なので自転車に乗って出かけた。
ミラノの南西側、木の茂る公園は昨日の暴風で枝葉がたくさん落ちている中、芝生の上では水着を着たお姉さんが読書をしながら日光浴している。その脇には一面に広がる田園地帯。カエルの鳴く声を聞きながら自転車を走らす。東京近郊では見かけなくなった風景がまだミラノにはある。
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by shinop_milano | 2009-06-07 21:10 | ミラノ生活

リハビリプラン終了

日本はGWであった先週もイタリアは1日がメーデー(労働の日)で祝日ということでちょっとした連休に。その後はカレンダー通りです。
先月から始めた病院での十回のリハビリがプランが5日でおわりました。お陰で右腕は関節、筋肉ともに和らいで結構動くようになりました。でもまだ左腕同様と言う訳ではなく自主的に同様の運動を続けてるという状態です。
通った病院はミラノの西の端にあるサン・カルロ・ボッローメオ病院。我が家からはバスを使って20分位のところにあります。ここの病院には交通事故障害科のセクションが充実しているようでここのリハビリスタッフは結構優秀のようです。僕の担当だったフェデリコはまだ若いが信頼が持てました。ここのリハビリの特徴は日本と違いあまり機械を使わない。ストレッチするにしろ負荷運動にしろ彼が常に引っ張ってくれたり脇に着いてマッサージというか触診をしながらつきあってくれるのでした。
天気の悪い日などは触りながら「今日は調子悪いだろ?」などと聞いてきて「わかる?」と応えると「まあね」という感じ。よく天気が悪いと古傷が痛むと言いますがそれはどうして、と質問すると「大気と体の中の圧力のバランスが悪くなるからだよ」とのこと。それは的を得ているなぁ、と感心しました。たしかに寒かったときより雨が降ったりして湿度の高い方が調子が悪い(おそらく大気中の水蒸気圧がかわるからであろう。
という感じで毎日朝の8:30から十回の通院は終了したのでした。
by shinop_milano | 2009-05-05 17:46 | ミラノ生活

スカラ・フィルの公開リハーサルを聴く

以前からイタリア人の友達に、スカラ座に行ってみたい、ということで機会があったらいっしょに聞きに行こうという話をしていた。彼女は「のだめカンタービレ」のファンでそのドラマを見て一度クラシックのコンサートをナマで聞きに行ってみたいとのこと。そしたら丁度スカラ・フィル公開リハーサルがあったので話をしてみたら興味を持って一緒に行ってみることにした。曲はマーラーの交響曲4番とメンデルスゾーンの交響曲4番『イタリア』。公開リハーサルなら入場料も安いし、確か「のだめ」でも『イタリア』は演奏で出てきたかなと記憶していたので初心者にはいいかなと。当日行くことに決めたのだがおそらくチケットはあることは予想できたので当日券売り場に行ってみる。席は一番安いガッレリア(天井桟敷)もあったが、パルコ(ボックス席)も20ユーロという安い席もあったのでちょっと奮発してこちらので聴くことにした。ちなみに僕はパルコで聴くのは初めて。こんなところで生オケ聴くのがデビューの彼女がうらやましい。
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座った席は一階右側7番目のボックスでだったので結構オケはよく見える。久しぶりにスカラのオケを聴きにきたが団員の何人かはお客さんとして知っていて彼らが舞台上で演奏するのを見るのは初めてだ。公開リハなので演奏者は全員平服。指揮者もカジュアルだったがソリスト(ソプラノ)はあまり派手でないドレス風な服装だった。まずは指揮者が挨拶をしてマーラーから演奏を始める。本番はメンデルスゾーンからのようだがリハなので編成の大きい曲から開始ということだろう。1楽章が終わってさっと全部を通すのかと思いきやもう少し稽古を付けたいところに戻って部分的に練習を行う。しかも結構繰り返して行う。オケで演奏をする人からしたら結構お得な勉強になる公開リハである。結局マーラーのシンフォニーが終わるまでそれぞれの楽章でいくつかあの場所で繰り返したのを含めると前半だけで1時間を超えた。
途中ハプニングも起こった。なんと3楽章の通しの演奏中ハープの弦が切れた。弦が切れると調弦が狂うがとりあえずそのままでハープは頑張って演奏。本番だったら敢闘賞かも知れないが今日はリハ。通しが終わったところで舞台袖に戻って替えの弦を取ってきて交換、そしてすぐにまたプローバに戻る。こういうところでプロの仕事みて一般のお客さんの満足するのであろう。しかも今日の指揮者若いのに結構ブラーヴォである。ちゃんとオケもついてきているし、勉強もしている。ちょっと振り過ぎな所もあるがわかりやすく、アダージョなんかも丁寧に演奏する。
休憩後、後半のメンデルスゾーンはそんな訳で1楽章だけちょっと繰り返して2楽章以降はさっと流した。オケもこの曲は馴れているのだろうけど、なかなかしっかり指揮者についてきていたのでちゃんとまとまっていた。なかなか圧巻だったのはフィナーレのサルタレッロ。普段はみんな別々の方向を向いているイタリア人が優秀なリーダーのもとで一つにまとまったときはとてつもない成果を生み出す、というそんな演奏だった。最後の最後に集中力を発揮してやってくれましたよ、という演奏でした。この演奏はベルリンフィルでもウィーンフィルでも出せない面白みだと主行った次第です。ああ、ぼくもずいぶんイタリア化されたなぁ・・・
演奏のあとプログラムを見ると今日の指揮者なあんと81年の生まれ、ということは28歳。いしょに聴きに行った彼女は「のだめ」の千秋くんのファンだと行っていたが実際そんな指揮者もいるのかなぁ、と思ってしまった。イケメン度はそうでもなかったけどね。
by shinop_milano | 2009-05-04 05:54 | ミラノ生活

Way to Canossa、またはカノッサの屈辱

Maranelloからミラノのに帰る途中、僕のリクエストでMくんを説得してカノッサ城趾に立ち寄ることにした。カノッサは歴史的に有名なお城があったところだが詳しくは一月のスポンガータの日記とこちらをご覧頂くとして、前々から是非訪問してみたかったところである。
マラネッロからおよそ1時間ほど、場所はレッジョ・エミーリアからアペニン山脈の方にむかうところにある。目的地に近づくと小高い丘が続き結構こう配のきつい道を登ることになる。しばらくすると前方に小高い岩山の上に廃墟のようなものが見えてきた。これがカノッサの城跡である。
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いまはかつての城跡に当時の寺院を模した資料館が作られていているのみである。この地は粘土質の為か風雨で崩落しやすく当時あったであろう岩山はほとんど城跡はほんの一部をコンクリートで補強してなんとか残っている状態だ。まずは城の麓のバールで腹ごなしをして(典型的に地元料理ラグーソースのトルテッリを食べる)「登山」に出かける。
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頂上にある資料館はなかなかよくできていてiPodライクな携帯オーディオガイドも用意されている。入場料もガイドも無料だ。発掘して出てきた陶器や武器・甲冑類、歴史的資料などなどが展示されている。
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頂上の廃墟は牢屋や聖堂があったところらしい。ここに外交上手な女領主さまが住んでいて歴史的な「詫び入れ」を実現したようだがいまは写真中央に映っている雌鹿がここの主らしい。あちこちにはフンが散らばっている。
今は小さな城跡が残るだけの小さな村であるが、駐車場近くには周辺城趾も併せて世界遺産に登録をと署名を求める机が用意してある。当時はこのカノッサ城だけでなく周辺の丘の上に建てた城を利用して自分たちの土地を守っていたのだ。今や世界遺産にということになるとそのために観光や自然保護の為にいろいろ「準備」しなくては行けなくなるだろう。ここは知るものこそくるいわば鄙びた観光地である。このままでいてほしいと思うのだがやはり遺跡を維持して行くというのはお金の掛かることなのだろう、とちょっと複雑な心境である。
by shinop_milano | 2009-04-19 20:00 | ミラノ生活

フェラーリ博物館

昨日のこと、大学時代の友人でミラノ駐在で仕事をしているMくんと夕食をしていたときに週末予定が無いからということでちょっと遠出して一緒にモデナの近くにあるフェッラーリ博物館に行くことにした。ちなみにMくんはモーター好きであるが、僕はさほどでもない。
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フェッラーリ博物館があるのはモデナ県マラネッロ市のフェッラーリ本社のすぐ近くにある。マラネッロに着いてすぐ目の前を1台のフェッラーリが走って行った。どうもテスト走行らしい。そうかと思うとまた別の1台を見かける。いくらイタリアだってそうそうフェッラーリは街角では見かけないのに・・・さすが「跳ね馬」のお膝元。
中に入ってみるとまずは歴代の名車が並んでいる。いきなりこの辺で笑顔を漏らす中年男性も少なくない。
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入場者は写真を自由に撮ってよいのだが、マニアの人にいたっては車体の下にもぐって写真を撮っている始末である(もとろんこのときになぜ下にもぐるかは周りに聞こえるように説明をしている)。まぁ、たかが「木の箱」にさんざんいろいろな角度で写真を撮っている者に笑う資格は無いとは思うが・・・
こちらは会社員時代にその会社がフェッラーリのスポンサーをしていたころの車体。
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月曜に出社すると前日のレース結果がメールを通じて知らされていた頃が懐かしい。この頃はフェッラーリ良い印象が無かったのだが、会社の同僚たちがこの訪問を知ったら笑うかもしれない。ともあれ、フェッラーリのファンであるかどうかは別として行ったら行ったでなかなか楽しいものである。80年代に一世を風靡したテスタロッサや「こち亀」の中川巡査の乗っていたF40もここにはあって見応えはある。
最後にここで発見した珍品紹介。
d0079867_837453.jpgまずはフェッラーリのプリクラ。定年前のお父さんもここでプリクラ・デビューしてみてはいかがだろうか?






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つづいて「聖地」でのフェッラーリ・ショップよりフェッラーリ・セグウェイ。なんかこの矛盾感がいいかも?でも僕はその隣の自転車がほしいなぁ。
by shinop_milano | 2009-04-18 22:00 | ミラノ生活

ユダの木

復活祭も終わり4月も半ば、今年も部屋の窓から見えるユダの木(セイヨウハナスオウ)は満開。今年は窓ガラスを掃除したから眺めもよろし。
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by shinop_milano | 2009-04-17 10:00 | ミラノ生活

Palazzo Realeに「Anima dell'Acqua」展を観にゆく

今日はのどかな日曜日。そういえば王宮美術館(Palazzo Reale)で面白い展覧会をやっていたなと朝から出かけることにした。今やっている4つの展示会のどれも興味があったのだがチケットは別々(というのが会場にいってからわかった)。さんざん迷ったあげく「Anima dell'Acqua(水のこころ)」展を観ることにした。この展覧会は「水」をテーマに様々な彫像、絵画などを時代、地域を超えて集めた内容的には珍しい展示会である。展示会の目玉はカラヴァッジォの「ナルシス」である。
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内容は思った以上に見所が多く古代ギリシャの哲学や古代エジプトの死者の書からはじまり、ロマン主義絵画に至るまでいろいろな美術品を観ることができた。特に特定の芸術家(のグループ)にしぼった訳ではないので企画者は十分にストーリを練っていたものと思われる。日本ではあまりウケない種類の展示会であろう。こういう展示会に足を運んでみると、ああ、こんなモノもあるのだな、と普段あまり観ないものにも目を向ける。冷静に観てみるとお金をかけず企画されていようでその分手の込んだ演出をいうべきか。
ともあれあっという間に2時間は過ぎ予想外に面白みがあったと言いたい。でも入場料9ユーロはちょっと高いなぁ・・・
by shinop_milano | 2009-03-15 20:36 | ミラノ生活

2月初日は雪

ミラノの2月のはじめは二日つづけての雪。気温はそんなに下がらなかったので大して積もらず、その後雨に変わったので雪は雨を含んでベチャベチャ。石畳の上を歩くときは滑らないように注意が必要。こんなときに限ってお役所に出かけたり、医者のところにいったりと外出しなければ行けませんでした。これでコケてせっかくなおりかけてきた患部をいためてはたいへん、といつもより慎重に歩いていました。
久しぶりのDuomo広場もベチャ雪がつもり観光客もおらず閑散としていました。鳩たちは温もりを求めて地下鉄の排気口の上に身を寄せていました。

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by shinop_milano | 2009-02-04 07:29 | ミラノ生活

病室のBuon compagno

一般外科の病室は二人部屋だったので僕の隣にはいつも別の患者がいた。病室ではお互い体が不自由だと助けてくれたり、暇つぶしに世間話などをしたりするものです。部屋の移動やそれぞれの入退院のため度々入れ替わりがあったのだが僕の隣にいた3人を紹介。

一人目はアルフレッドさん、76歳。最初に一般外科病室に移った最初の部屋にいた方だ。
60歳で年金生活をする前まではトラックの運転手をしていたとのことでCorriere della Sera(ミラノにある新聞社の新聞)運送を主にやっていたらしい。なので雨の日も雪の日も濃霧の日も、しかも今のように高速道路が整備されていないころにも毎日トラックを走らせていたらしい。無事故無違反だったのを自慢にしていたが、定年してすぐに心臓動脈に問題があってバイパス手術を受けたとのこと。今回はその手術したバイパスが詰まってきたのか具合が悪く検査の為に入院しているとのことだった。15種類の薬を順番を間違えず朝夕に飲んでいるとのことだが、僕がいるときに看護士が薬の順番を間違って渡したらしく具合が悪くなり怒っていた。
ちなみにその脇で僕はCT、レントゲンの撮影にゆく前に閉じた肺の排液の管を看護士が開け忘れてものすごく呼吸が苦しくなった。看護士呼んで、なんかおかしいんだけど、と言っても見えるところを一通りチェックして、問題ないよ、といっていたのだが結局排液の管が折れたままでこれが悪さをしていたのがわかった。おい、しっかりしてくれよ、といいたかったがアルフレッドの場合をみても同様どうもイタリアでは全部他人任せというのはまずく自分でもちゃんとチェックしないと行けないらしい(日本の病院でも同じだろうけどね)。

二人目はジャンニ、34歳。僕が部屋を変更になってほぼ同時にやってきた。
入院の理由は昨年7月に結石で体に異変を覚えたがそのときは薬で何とかなったらしいが昨年11月になって結石がどうも膵臓のあたりを圧迫するらしく結局手術して取ることになったとのこと。手術はエンドスコープを使うので二泊三日の入院で済むようだ(僕の盲腸のときと同じパターン)。彼は未婚で入室のときにはお母さんにつれられてやってきてタリアにありがちなちょっとマザコン気味の様子と育ちの良さを見せていた。見た目同世代ということもあって話してみるとどうやらエンジニアということで元理科系の自分としては話しのきっかけがつかみやすかった。そんな彼だが一つ気になったのは彼の仕事の同僚が彼のお見舞いにやってくるとみんな深刻な顔つきと声のトーンが低いのだ。例えば「6月間の雇用は確保したけどその後は・・・」とか「ぼくもクリスマス開けには履歴書を送らないと・・・」という具合の話しが聞こえてくる。あとで彼に聞いてみたらなんと彼らはミラノ市内にあるリナーテ空港で働くアリタリア航空の社員であるという。話しを聞いて納得である。彼自身も例外でなくクリスマス休暇後は身の振り方を考えねばと言っていた。部外者としては新聞紙上でアリタリアがどうなるかいろいろ世間を賑わしているうちに組合の内部では社員リクルート先を検討したり色々動いていたらしい。この辺は日本の組合とずいぶん違うなぁ、と思った。もっとも組合の、システムや組織力が違うから納得だけど。
ともあれ彼は予定通り二泊三日で退院して行った。部屋を出るときにはメールアドレスの交換にも応じてくれて、退院後の検査のときにも僕の部屋に立ち寄ってくれる親切さを見せてくれた。

3人目はジュゼッペさん、67歳。
彼も結石の為入院だが今回は検査からということで手術の予定は未定だがおそらくジャンニと同様の手術を受けるだろうとのことだった。ちょっと頑固そうに見えるおじさんだった僕がまだまだ動くのに不自由な様子を見せるとがいろいろ気を使ってくれて親切な方だった。何でも定年前はENI(イタリアの石油会社)に勤めていてイタリア国内はくまなく営業で廻ったといっていた。今回は検査のため入院中は食事ができず、その反対に僕はずいぶん具合も良くなってきてとにかく食べて栄養取らねば、とばかりだったので食事の時はちょっと気兼ねしながら食べていたのでした(夜中にミカンを食べに部屋の外に行ったりしたりして)。彼はタイミングが悪かったようでクリスマス前に入院した為ドクターが少なかったのか検査の段取りが悪くすぐに手術と行かなかったようである。僕の退院の日にあさって手術できる(ドクターがいる)ならこのまま入院だが間が空くようなら一度家にかえるという状態だった。結局どうなったのだろう?

3人に共通して言えるのは僕の仕事がヴァイオリン作りだというと興味津々だったことである。日本人でもそうだがどうもイタリア人でも状況は同じである。そういう点においてはLiutaio(弦楽器職人)であることは便利だぁ、と再認識したのでした。
by shinop_milano | 2009-01-24 09:14 | ミラノ生活

「ミラノ的ヴァイオリン製作の部屋」改め。埼玉に活動の場を移したヴァイオリン屋の徒然日記


by shinop
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