ヴァイオリン工房は不思議の部屋 ★camera delle meraviglie★

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病院の中で

最初に救急手当と検査を受けて運ばれたのは外科の集中治療室でした。痛さで身動きできなかったし、体には酸素吸入、排尿、肺の排液の為のカテーテルや点滴がつけられていたベッドでは寝返りも打てませんでした。救急車の中で衣服はすべて切ってぬがされていてシーツを敷いたベッドの上に裸でシーツを上から掛けられてという状態が一般外科の部屋に移るまで1週間くらい続きました。
ちなみに、最初に集中治療室で目を覚ましたときは「見知らぬ天井」を見て「ここはどこ?どうして自分はここにいるの?なんで?」と思うよりまずは頭が空白でした。そして、現実を否定したいけど受け入れる感覚。病院の病室の天井を見て記憶を遡らせてみて『新世紀エヴァンゲリオン』の第2話を思い出しました。シンジくんのあの入院シーンは体験した人じゃないと思いつかない描写だょ〜、うまくできている。

眼鏡がなかった(事故で吹っ飛ばされてしまった)のでド近眼の僕は周囲が何も見えず手も自由に使えなかったのでお世話はすべて看護婦と看護士さん頼みでした。朝6時に検温と血圧の測定で起こされて、再びまどろむと8時ごろにシーツの交換と体を洗いに看護婦がきます。ほんとに寝たきりなのでシーツを剥がされるとスッポンポンで体のすみずみまで石けんのついたスポンジで体を洗い、それまでのシーツで体を拭いてベッドのシーツを取り替えます。こちらは「まな板の上の鯉」何も抵抗できません。排尿の為のカテーテルが「あそこ」に挿入されているので股間もよく拭かれるのです。幸いにもアレコレ考える余地がなかったので羞恥心も何もありません。なすがまま、キュウリはパパ状態。動けないというのは無力なのを実感しました。
でもこれって、体の不自由な老人医療の現場や重度の身体障害者の現場では日常茶飯事な訳ですよね。世話をされる側もする側も男だとか女だとか羞恥心なんかを超えてお互い接しなくてはいけないというのを自ら体験すると今の日本の介護に対する問題は深刻なものだと思いました。
じつはイタリアの病院ではたくさんの外国人が働いています。先生と呼ばれるドクターだけでなく、看護士/婦、掃除のおばちゃんまでです。言葉の訛からは南米や東欧の出身であることが思い起こされましたし、明らかにアフリカ出身の黒人のひともいました。イタリアも他のヨーロッパ諸国とおなじ移民を受け入れてるのでこんなところでもおおくの外国人が働いています。いや、むしろこんなところだからこそ外国人は多くいるようにも思いました。むかし佐々木倫子の漫画『おたんこナース』で看護婦の仕事は「3K」どころか「9K」とあったなぁと思い出します。日本でも将来は外国人看護士が、というのが話題になっていますが、もしそうなったとき、いや、そうならざるを得なくなったとき日本人は簡単に受け入れられるかと思いました。それは来る外国人が日本に適応するようになっても彼らに日本人が適応できるかということです。日本は世界で見たら特殊な国民性の国です。国民性が国際的であるとはまだまだ言えないと僕は思います。これから日本はどうなるんだろ・・・
いずれにしても近い将来(すでに?)僕らの世代は高齢者の介護を含め社会のなかでも大きなところを支えてゆかなくてはいけないと思います。こういう機会をもって日本の将来の問題を病院のベッドの上でちょっと深刻に感じました。
by shinop_milano | 2009-01-08 20:00 | ミラノ生活

「ミラノ的ヴァイオリン製作の部屋」改め。埼玉に活動の場を移したヴァイオリン屋の徒然日記


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