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よき細工は、少し鈍き刀を使ふといふ。

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NHKの100分de名著の今月は兼好法師の『徒然草』。今月はパス、と思っていたがテキストを見るとなんと著者は僕が学生時代、有名予備校講師で名を馳せていた"古文のマドンナ"荻野文子さん。僕は古文は全然駄目で、というか興味が無かったしセンター試験レベルの学習で十分だったので彼女の講義とか参考書にはまったく目もくれなかった。今20年前嫌いだったモノを敢えて手に取ってみた。

それで彼女の説く『徒然草』を読むとなるほど吉田兼好の言葉は今その言いたいことが良くわかり頷くこと度々である。兼好は現代風に言えば鋭いコラムニストだ。このテキストもオススメです。

本題:
それでこれを紹介した友達から第229段の「よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ。妙観が刀はいたく立たず。」についてどう思う?と尋ねられた。なるほど聞き覚えがあるぞ、中学(高校?)のとき教科書に出ていた一説だ。
これを思い出した時に、ハッとした。確かにそうかも。しかし学校で教わった解釈とはちょっと違う。

この段をちょっとググってみると、出てくる解釈は学校で習った時と同じだ。つまり、名工はキレ者だから鈍い刃物でバランスが取れる、というものだ。しかし、今の自分は同じく刃物を使って木を削る仕事を生業にしていてちょっと違うように思う。

ミラノにいたとき、パルマ弦楽器製作学校で教鞭をとるのレナート・スクロラヴェッツァ(今も現役の高齢の有名製作家)に教えを乞うていた友達が僕にこう漏らした。「学校のカンナは切れないので、カンナの刃を一生懸命研いでいたら怒られた。いつまでも刃を研いでいないで木をけずれ」と。
刃物は研いで良く切れないと確かによく削れない。なので研ぐことは常に必要だ。よく切れる刃物は作業が早い。しかし名匠はよく切れない刃を使ってとにかく削れ、といったという。

おそらく多くの楽器製作に従事する日本人はまず刃物の研ぎが完璧でなければいけない、という教えを受けてきたと思う。大工や宮大工などはもっと厳しい教えを受けているに違いない。その逆にイタリアで僕のまわりのイタリア人などは刃物の研ぎはいい加減な人が多かった(もちろんうまく研ぐ人ひともいる)。少なくとも研ぎの技術にこだわるのは一部のストイックな製作家たちだけだった。

しかしその反面、切れない刃物、いや研ぎのあまり巧くないヤツはそんな道具を使いながらも自分ながらに道具を使いこなして仕事をさっさとすすめる。なんでこう言う道具を使ってこういうやり方で良い結果がだせるのか疑問に思うこと度々であった。

そこでいろいろ考えた。そこで辿り着いた考えはおそらくイタリアで学んだ一番重要なことだ。それは、作品のイメージをしっかりもちそれに向って行動する、そして、それに至る方法は二の次でそれにとらわれてはいけない、ということ。刃物を巧く切れるように研げば仕事は楽だし作業はスマートだ。しかし、我々の最終アウトプットではない。研ぎ屋だったらそれが仕事だけどバイオリン屋はそうではない。

昨今、日本人は方法論や手段、道具にこだわり過ぎて自分の仕事の最終ヴィジョンがしっかりしていない場合が多いのに気付く。あるいは美しい方法にとらわれて何の為なのか目的を失う状況もあったりする。これでは創造的な作品/ミッションはこなせない。徒然草のこの一節は、匠こそは結果のよいイメージと実行能力をもっていてそれを実行するにはそこそこの環境があればできるんだよ、という風に僕は解釈したい。
もちろん、名工だって手に馴染んだよく切れる刃物や便利な道具があれば間違いなく使うと思うけどね。

兼好のセンス、あなどるべし。今の感性が受験時代にあったら文系に転じていたかも。
by shinop_milano | 2012-01-06 20:35 | 篠崎バイオリン工房

「ミラノ的ヴァイオリン製作の部屋」改め。埼玉に活動の場を移したヴァイオリン屋の徒然日記


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